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東京地方裁判所 昭和30年(行)5号 判決

原告 国

訴訟代理人 家弓吉巳 外二名

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告が中労委昭和二十九年不再第十六号不当労働行為再審査申立事件について、昭和二十九年十二月十七日付でなした命令のうち、岡野谷猛、小池京二郎に関する東京都知事の再審査の申立を棄却する旨の命令は、これを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、訴外岡野谷猛、小池京二郎及び田村英郎は、いずれももと原告に雇傭されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、岡野谷は昭和二十三年三月以来、小池は同年五月以来ポンプ工として、田村は昭和二十四年十一月以来木工として東東都成増所在の在日米軍グランドハイツBUメンテナンスに勤務していたが、人員整理のため昭和二十七年十二月一日軍から解雇予告を受け、昭和二十八年一月七日他の労務者百九名と共に解雇された。右訴外人ら三名及びその所属する全駐留軍労働組合東京地区本部は同年三月十五日同訴外人ら三名の解雇は労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であると主張し、東京都知事を被申立人として東京都地方労働委員会に救済申立をなしたところ、同委員会は昭和二十九年五月二十日付で「被申立人岡野谷猛、田村英郎、小池京二郎を昭和二十八年一月七日当時の原職又はこれと同等の職に復帰させると共に同月八日以降原職に復帰するまでの間に同人らの受くべかりし諸給与相当額を支払わなければならない」との命令を発した。これに対し東京都知事は同年六月三日被告委員会に再審査の申立をなしたところ被告委員会は同年十二月十七日付で「初審命令中田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する。その余の再審査申立を棄却する。」旨の命令を発し、この命令書写は昭和三十年一月五日同知事に送達された。右命令の理由は別紙命令書写のとおりである。

二、しかしながら、本件命令のうち、訴外岡野谷及び同小池に関する東京都知事の再審査申立を棄却した部分は以下に述べる二点において違法であるのでこれが取消を求める。

(一)  第一点事実誤認

本件命令は不当労働行為でないものを不当労働行為であると認定したもので事実誤認である。即ち、以下詳述する如く訴外岡野谷及び同小池の解雇は同時に解雇せられた多数の労務者と同様人員整理の必要に因るものであつて決して右両名の組合活動を理由としてなされたものではなく、従つて労働組合法第七条第一号に違反するものではない。

1、岡野谷、小池を含む人員整理に至る経緯

駐留軍キャンプ東京司令部技術本部管下の施設においては、軍の予算削減に伴い、昭和二十七年九月から同二十八年三月にかけて三次に亘る大量の日本人労務者の人員整理が行われた。

(1)  第一次人員整理

まず第一次人員整理としてキャンプ東京司令部技術本部管下の全施設において合計八百二十三名が整理されることになり、グランドハイツにおいては当初他の基地と同様昭和二十七年九月十日九十七名の労務者に対して軍から一方的に解雇予告がなされたが、その後同月十六日同基地において行われた米軍と東京都及び全駐留軍労働組合東京地区本部成増支部(以下単に支部組合という)との三者会談の結果右解雇予告を撤回し、改めて予告をなすことになり、当時は人員整理に関する一般的基準が未だ定められていなかつたので(人員整理をなす際の一般的整理基準としては昭和二十八年一月二十六日初めて駐留軍労務者により組織されている全駐留軍労働組合その他の労働組合と日本国政府及び駐留軍の三者間の合意により「人員整理手続に関する臨時指令」が定められた)、右会談において軍労務士官C・L・ハワード少佐は一応の整理基準として勤務成積技能程度雇用期間などを勘案して被解雇者を選定する方針であることを明かにし、且つ右人員特理の公平を期するため各職場の日本人フオアマン(作業班長)に命じて右基準により解雇予定者名簿を作成させることとした。右解雇予定者名簿に基き、同月二十五日改めて九十七名の労務者に対し解雇予告がなされ、右九十七名中には岡野谷、小池の属するボイラープラントからの十八名が含まれ、岡野谷、小池と同一職種であるポンプ工からは竹沢勇、深野政雄、丸川元一郎、斎藤秀広、佐藤喜久治、館野勝義の六名が含まれていた(榎本鉄三郎、五十嵐和夫、加山甚五郎は第一次人員整理に際し予告された事実はない)。ところが東京都渉外部係官及び千代田渉外労務管理事務所係官の現地調査の結果によれば、右九十七名の整理人員についての各職場別割当が各職場の作業量と対比し、不合理な点があり、ボイラープラントについても右十八名の減員は他の職場に比し作業量の負担が加重される虞があつたので、同月二十六日東京都渉外部長から軍に対し右整理人員の割当方法につき再検討を勧告した。その結果同年十月一日軍側から東京都に対しボイラープラントの十八名の予告は撤回する旨の回答があり、軍側は前記九月二十五日の予告を取消し十月六日更に改めてボイラープラントを除く他の職場のうちから合計九十七名に対し解雇予告が発せられた。

(2)  第二次人員整理

岡野谷、小池はいわゆる第二次人員整理で解雇せられたのであるが、右人員整理ではキャンプ東京司令部技術本部管下の全施設において合計六百十四名の労務者に対し同年十二月一日解雇予告が発せられ、うち百十二名がグランドハイツに勤務する労務者であつた。軍は右予告前、第一次人員整理の場合と同様に勤務成績程度、雇傭期間などの三つの整理基準により被解雇者を選定する方計であることを組合側に明かにした上各職場の日本人フオアマンに解雇者予定者名簿の作成を命じたのであるが、第一次人員整理の場合と異りフオアマンらがこれを拒否したので止むを得ずまず各職場監督の米人軍属らに整理対象を選定せしめ、前記ハワード少佐がこの名簿に基き軍の労務管理事務所にある勤務成績表その他の資料を参考として被解雇者を決定したのである。而して、第二次人員整理に際してはボイラープラントからも被解雇者を出さざるを得なくなりボイラープラントのポンプ工のうちからは前記整理基準に基き、岡野谷猛、小池京二郎、館野勝義、橋本元木、橋本幹愛の五名が解雇せられるに至つたものである。この人選についてはボイラープラント担当の職場監督J・A・ラベルが整理対象の選定に当りハワード少佐が最終的に決定したのである。

第一次人員整理に際し一度解雇予告を発せられながら、その後撤回せられた前記ポンプ工竹沢勇外五名のうち館野勝義のみが第二次整理の対象となりその余の五名が整理されなかつた理由は、竹沢勇、斎藤秀広、佐藤喜久治の三名は第二次整理前既に自発的に退職しているし、丸川元一郎も第二次整理前に他の基地に転勤していたからであつて、深野政雄は第二次整理の対象となつた岡野谷他四名に比べて勤務成績が良い方であるし(甲第二号証の一、二参照)、技能成績その他の事情から再考慮されて解雇を免れたのではないかと思われる。

2、岡野谷及び小池はいずれも整理基準に該当する。

前述のとおり整理基準は勤務成績、技能程度、雇傭期間の三項目であるが、整理基準の一つである雇傭期間については、ポンプ工は全員米軍から出された調達要求に基いての調達庁の指定により事業を行う業者に雇傭されていたいわゆるPD労務者であつたところ、昭和二十六年四月一日から日本政府に雇傭されて軍に提供されるいわゆるLSO労務者に切替えられたものであるため、全員雇傭期間は同一でこの点について差異がなくその他の基準である勤務成績及び技能程度で選定する外なかつた。

そして勤務成績と技能程度の点について見れば、岡野谷及び小池はともに欠勤多く(昭和二十八年十月七日行われた東京都地方労働委員会第二回審問におけるラベルの証言(乙第三号証)並びにポンプ工五十名の昭和二十七年一月から同年九月までの月別稼働時問表(甲第二号証の一、乙第二号証の十六)参照)従つて勤務成績は不良であり、且つ技能程度も他に劣ること(前記ラベルの証言並びにラベル陳述書(甲第六号証の三、乙第五号証の四)参照)から整理基準に該当するものとして人員整理の対象となつたのである。

しかるに、被告委員会はその命令書理由第五項(イ)において「ラベルの署名人陳述書には両名について『ボイラープラント内の全般の出勤記録と比較すればこれらの労務者の出勤記録はまずよろしい方である。というのは他の労働者より良くもなければ悪くもないからである。』と記載されてあるし、……勤務成績が不良であるとの主張は到底認め難い。」と認定した。しかしこの認定は前記ラベル陳述書の一部のみにより、しかもこの陳述書の原文の意味の誤解に基くもので誤りである。何となれば、この陳述書は要するに出勤記録の上からすれば岡野谷、小池を含めた被解雇者の出勤状況は他の者に比して取立てて悪いというわけではないといつているだけで標準以上に良い方であるという意味ではない。原文に Compare favorably with とあるのは後段で他の労働者より良くも悪くもないと述べていることからみれば単に遜色がないというほどの意味で「まずよろしい方である」と解するのは誤つている。なおポンプ工五十名の昭和二十七年一月から九月までの月別稼動時間表によつてみれば岡野谷、小池の出勤状況は不良である(同時に整理解雇された橋本元木、橋本幹愛よりも劣つている。)こと明らかである。

また、被告委員会は同じ箇所で「両名の能率、能力が特に劣つていたという主張は到底容認できない。」と認定しているが、これも誤りである。元来能率、能力の優劣は、認定者が労務者の日常の作業状況などを考慮してなす微妙な裁量問題であつて労務者の監督であるラベルが部下のモンテサノと慎重に協議の上決定したのであるから、特段の事情のない限りこれを容認すべきであり、被告認定のように単に具体的事実の例証がないからというだけで前記ラベルの陳述者を排斥したのは相当ではない。

米軍が削減された人員により作業能率を上げるために勤務成績や技能程度の悪い者を整理の対象にするのは当然のことであり、本件の如き大量整理の場合に偶々組合幹部や役員が入つていたからといつて直ちに不当労働行為であると判断するのは早計というべきであり、岡野谷及び小池の勤務成績などが悪いこと右に述べた如くである以上、たとえ組合幹部であろうと役員であろうと解雇されても止むを得ないところである。

3、仮に岡野谷、小池両名の解雇が整理基準に照らし、被整理者の選定を誤つたものであるとしても、右両名の解雇は不当労働行為ではない。

被告委員会はその命令書理由第六項において両名の解雇を不当労働行為と結論しているが、その前程となつている「本件二名が支部組合活動の中心人物であること、軍がそれを意識していたこと、二名に対する解雇は正当な理由がないこと支部と軍側とが抗争状態にあつたこと」との事実には誤りがある。

(1)  被告委員会が命令書理由第六項において認定する「両名は組合役員として労務連絡士官C・L・ハワード少佐と交渉していることは勿論、その解雇の決定者たるJ・A・ラベル及びその補佐S・T・モンテサノとは職場の問題について屡々会つており、殊に昭和二十七年九月の第一次人員整理以来、両人は支部の反対斗争を指導し、甚だ目立つた存在であつた。」との点は事実を甚だしく誇大に粉飾したものであつて、組合役員は他に多数おり、両名のみが支部組合活動の中心人物であつたということは事実に反するのみならず、反対斗争といつても、第一次人員整理に際して組合がその撤回を要求して軍側に交渉したというだけであり、大量解雇の場合に往々発生する(全国的にみてもその例が多い)抗争に過ぎないのであるから、特にこの交渉により通常以上に軍と組合役員との間が険悪になつたという事情のない限りこれをもつて軍の本件解雇が直実は同人らの組合活動の故であつて人員整理に籍口したものと認定することはできないと思う。

(2)  被告委員会が同じ箇所で認定している「その撤回を求める支部との交渉においてモンテサノが組合役員でない者は考慮の余地があるかの如き発言をした」との事実は事実無根である。被告委員会は右の交渉を「第二次人員整理の解雇予告後軍は中央ボイラープラントにおいて予告された者の職場異動を行つている」のに対しその撤回を求めたものとしているが、この職場異動は解雇予告を受けたものについては、最終的に解雇となるまでの三十日の期間その出勤状況の悪化が予想されるのでスチーム供給の分断を防止するため行われたものであるから組合役員なるが故に差別待遇するようなことは考えられず、モンテサノがかかる発言をするいわれはない(労務連絡士官JJ・P・エスリンガー大尉から東京都外務室長宛の不当労働行為申立に対する答弁資料についてと題する書簡(甲第七号証の二、乙第一号証の三十七)参照)。のみならず、右認定は東京都地方労働委員会における或る組合員の証言によるものと思われるが他にこれを補強する証拠もなく、且つその証言の内容も通訳を通じてモンテサノが岡野谷、小池、橋本の三名は復帰させたくないと言つたことを聞知したに過ぎないものであるから、かかる証拠力の殆どない証言を採用してモンテサノが組合役員でないものは考慮の余地があるかの如き発言をしたと解し、ひいては軍が両名の組合活動を強く意識していたと認定しているのは重大な誤認といわざるを得ない。

(3)  更に、被告委員会は両名は整理基準に該当しないから両名に対する本件解雇は正当理由がないとし、これをもつて本件解雇を不当労働行為と認むべき要因であると解しているようである。しかしながら、米軍に不当労働行為意思のなかつたことは第一次ないし第二次の各人員整理に際し、何れも軍が解雇予定者を選定するに当つて公平適正を期するため、各職場の日本人フオアマンに協力を求め、整理基準を示して被整理者の選定を命じていることによつても明らかである。而して、岡野谷、小池の解雇せられた第二次人員整理に当つては、日本人フオアマンが被整理者の選定を拒否したため止むを得ず各職場監督の米人軍属が自ら当つたことは前述のとおりであり、本件人員整理はキャンプ東京都司令部技術本部管下の全施設に亘るもので上級司令官の命により指定期日までに急速に実施しなければならなかつた状況下に行われた大量解雇であつたところから、仮に被整理者の選定が整理基準に照らして若干の誤差を以て行われたとしても、それは単に選定を誤つたというに過ぎないのであつて、これを以て直ちに人員整理としての本件解雇が不当労働行為の意図を隠蔽するための口実ないしは仮装であると解するのは相当でない。

なお、軍が第一次、第二次人員整理にあたり被解雇者選定のために設けた整理基準は、軍の一応の方針を示したに過ぎず、これをもつて自己の解雇権を制限する意思があつたわけではないから、規範的効力を有するものでなく従つて仮に整理基準に該当しないものを解雇したとしても当然に無効となるものではない。

4、被告委員会の命令書理由のうち、以上において事実誤認を主張した事実以外については争わない。

(二)  第二点

仮に本件解雇が不当労働行為であるとしても、それは駐留軍が行政協定第十二条第五項「……賃金及び諸手当に関する条件のような雇用及び労働の条件、労働者の保護のための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は、日本国の法令で定めるところによらなければならない」という条約上の義務を守らなかつたというに止まり、国は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基く行政協定に伴う民事特別法」第一条により損害賠償責任があるかは格別として、駐留軍による不当労働行為について、その責任を負うべきいわれはないから、被告委員会の本件命令は、この点においても違法であるといわねばならない。

第三、被告の答弁

一、主文同旨の判決を求める。

二、請求原因第一項の事実は認める。

同第二項(一)の事実誤認はすべて否認する。被告の主張は別紙命令書写理由中に記載されているとおりである。なお、原告が同1(1) において第一次整理に際し岡野谷、小池と同じポンプ工のうちから被解雇者として解雇予告されたと主張する者のうち丸川元一郎、斎藤秀広、佐藤喜久治の三名は第一次整理に際し解雇予告された事実はないし、且つ丸川、佐藤の両名は岡野谷、小池らとは職場も異り面識なき者である。第一次整理に際しては中央ボイラープラントの労務者約百二十名のうち約十八名が整理されることとなつたのであるが、うちポンプ工で被解雇者に予定された者は深野政雄、竹沢某、館野勝義、榎本鉄三郎、五十嵐晴雄、加山甚五郎の六名であり、右はボイラープラントの米側監督J・A・ラベルが日本人フオアマンに対して協力を求め、人選したものである。而して右六名については組合の反対交渉の結果、昭和二十七年九月十日に予定された解雇予告の直前に全員撤回された。第二次人員整理に際しては軍側の一方的な人選によりボイラープラントではポンプ工六名に解雇予告がなされたが、被予告者は第一次整理の際には全く予定者とならなかつた岡野谷、小池及び橋本元木、橋本幹愛、大垣七郎、並びにさきの予定者館野勝義であつた。即ち、第一次整理の解雇予定者のうち自己退職した竹沢某を除き、深野政雄、加山甚五郎、五十嵐晴雄、榎本鉄三郎は残留したのである。第一次整理の際の整理基準と第二次整理の際のそれとは同一と認められるから第一次整理の予定者は当然第二次整理の被解雇者中に含まるべきであつたに拘らず、軍側は殊更にこれを変更し、組合活動の中心人物である岡野谷、小池は整理基準に該当しないのに拘らずこれを被解雇者中に含めたのである。

同第二項(二)の原告の法律上の主張は争う。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、訴外岡野谷猛、小池京二郎及び田村英郎はいずれももと原告に雇傭されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、岡野谷は昭和二十三年三月以来小池は同年五月以来いずれもポンプ工として田村は昭和二十四年十一月以来木工として東京都成増所在の在日米軍グランドハイツRUメンテナンスに勤務していたが昭和二十七年十二月一日軍から解雇予告を受け、昭和二十八年一月七日他の労務者百九名と共に解雇された。右訴外人ら三名及びその所属する全駐留軍労働組合東京地区本部は同年三月十五日同訴外人ら三名の解雇は労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であると主張し、東京都知事を被申立人として東京都地方労働委員会に救済申立をなしたところ、同委員会は昭和二十九年五月二十日付で「被申立人は申立人岡野谷猛、田村英郎、小池京二郎を昭和二十八年一月七日当時の原職又はこれと同等の職に復帰させると共に同月八日以降原職に復帰するまでの間に同人らの受くべかりし諸給与相当額を支払わなければならない」との命令を発した。これに対し東京都知事は同年六月三日被告委員会に再審査の申立をなしたところ、被告委員会は別紙命令書写理由のごとく認定の上同年十二月十七日付で「初審命令中田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する。その余の再審査串立を棄却する。」旨の命令を発し、この命令書写は昭和三十年一月五日東京都知事に送達された。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、岡野谷、小池両名の勤務していたグランドハイツにおいては全駐留軍労働組合東京地区本部の下部組合として同所に勤務する労務者約七百名中約五百名をもつて成増支部が組織されているが、岡野谷は昭和二十四年五月ないし七月支部組合PD対策部長、七月ないし十月副執行委員長、十月ないし十二月執行委員長、十二月ないし昭和二十五年四月執行委員、四月ないし十月副執行委員長、十月ないし昭和二十六年十月執行委員職場委員長を歴任し、昭和二十六年十月執行委員長となり本件解雇に至つたもの、また、小池は昭和二十四年四月ないし昭和二十五年十月執行委員、職場委員長、十月ないし昭和二十六年四月PD対策部長、四月ないし七月書記長、昭和二十六年十月ないし昭和二十七年十一月執行委員、職場委員長を歴任し、昭和二十七年十一月副執行委員長となり本件解雇に至つたものである。両名は昭和二十七年十二月一日グランドハイツの他の労務者百十二名と共に人員整理の必要ありとして解雇予告せられたのであるが、これに先立ら、第一次人員整理として(これに対し両名を含む解雇を第二次人員整理と呼ぶ)昭和二十七年九月軍は予算削減を理由としてグランドハイツの労務者九十七名の解雇を予告し、支部組合はこれが撤回を要求して反対斗争を行つたのであるが、この斗争期間を通じ、岡野谷、小池は前記の役職にあつた。

右の事実も当事者間に争がない。

三、被告委員会が岡野谷小池の解雇は両名の右組合活動を理由とするもので不当労働行為であると認定したのに対し、原告は右は事実誤認で両名の解雇は人員整理の必要に因るものであると主張する。両名の解雇が人員整理に際して行われたものであり、右人員整理に際し軍側が三項目の整理基準を明かにしたことは当事者間に争がないのです。まず、両名が整理基準に該当したか否かを検討しなければならない。

整理基準三項目のうら、勤務成績の悪い者、雇傭期問の短い者の二項目については、当事者間に争がないところであるが、その余の一項目につき被告は作業能率の低い者と認定しているのに対し、原告はこれを技能程度の低い者であつたと主張する。右につき、証人岡田安正の証言には技能の低い者、成立に争のない乙第四号証の一記載によれば技術不良のもの、証人秋山一郎の証言には技能力とあるのに対し、成立に争のない乙第一号証の四十三、第七号証の二にはそれぞれ能率、作業能率の悪い者とあつて、軍側の設定した整理基準はそのいずれであつたか容易に決し難いのであるが、成立に争のない乙第一号証の三十七(甲第七号証の二)に所定作業の遂行能力とあることよりすれば、ボイラープラントにおいて軍側が整理基準としたところは単なる作業能率のみならず当該労務者の技能をも綜合したところの全体的作業遂行能力であつたと認めるのが相当である。

(一)  雇傭期間

本件人員整理当時グランドハイツに勤務していたポンプ工は全員米軍からの調達要求に基いて調達庁の指定により事業を行う業者に雇傭されて労務に従事していたところのいわゆるPD労務者であつた者で昭和二十六年四月一日から日本政府に雇傭されて軍に提供される形態のいわゆるLSO労務者に切替えられた者であつた。而して雇傭期間としては政府雇傭となつた時期から起算するためポンプ工の雇傭期間についは全員差異なく、岡野谷、小池もこの整理基準に該当する余地のないことは原告の自認するところである。

(二)  所定作業の遂行能力

成立に争のない乙第五号証の四(甲第六号証の三)(ラベル陳述書)記載によれば岡野谷、小池は与えられた作業遂行上の能率、勤勉度において他の労務者に比し劣つているというのである。しかしながら、この点については何ら具体的事実の例証がないのみならず、却つて証人岡野谷猛の証言及び成立に争のない乙第八号証の一記載によれば、岡野谷は政府雇傭の駐留軍労務者に切替えられる以前、即ちPD労務者のときにはフオアマン(作業班長)を命ぜられていたこと、支部組合役員に選任されるにおよび組合役員が職制にあるときは好ましくないと考えてこれを辞退したが、その後も副班長格としてアオアマンに欠勤などの事故ある場合はその職務を代行していたこと及び全勤務期間を通じ作業上の事故を起したことは皆無であることが認められ、また、証人小池京二郎の証言及び成立に争のない第八号証の二記載によれば、小池もPD労務者のときはフオアマンであつたが、岡野谷と同様の理由によりこれを辞退したこと、岡野谷と同じく作業上の事故は皆無であること及び昭和二十七年六月頃には当時米人作業監督の補佐であつたデコイトから特に技術的にすぐれている者として選任され、外一名のポンプ工と共にポンプの修理分解掃除などを担当することとなつたことが認められる。更に、成立に争ない乙第四号証の二記載によればポンプ工を統括するチーフオフマン大出も岡野谷、小池の技能はポンプ工のうち中以上に位するものと判断していたことが明らでかある。右認定に反する証拠はない。

原告は能率能力の優劣は認定者が労務者の日常の作業状況などを考慮してなす微妙な裁量問題であるから特段の事情のない限り監督者の認定を容認すべきであると主張するが、右の各事実に照らせば両名がその能率などにおいて劣つているという前顕乙第五号証の四(甲第六号証の三)記載は措信し難く、従つて、両名が右整理基準に該当するとは認め難い。

そればかりではない。前顕乙第一号証の三十七(甲第七号証の二)(労務連絡士官エスリンガー大尉書簡)記載によればグランドハイツのボイラープラントにおける本件人員整理に際しては、日本人フオアマンが成績不良な労務者の名簿をを提出することを拒否したため、軍側はポンプ工は全員作業遂行能力において同程度と考えて被整理者を決定しにことが明らかであり、この事実からすれば同じくポンプ工である岡野谷、小池のみが右整理基準該当として解雇せられる筈はない。

(三)  勤務成績

米人作業監督ラベルの供述を録取した成立に争のない乙第三号証の二、その補助者モンテサノの供述を録取した同じく成立に争のない同号証の三各記載によれば、ラベルは昭和二十七年一月から九月までの出勤記録を調査し、これによれば岡野谷、小池の欠勤率は最高であつたので勤務成績不良として解雇したというのであり、また前顕乙第一号証の三十七(甲第七号証の二)(労務連絡士官エスリンガー大尉書簡)記載によれば昭和二十七年(一九五一年と記れているのは五十二年の誤記と認める)一月から九月に至る間小池は最も悪い出勤記録を示し、次は同じく解雇されたクテノ(音訳〕で次が岡野谷であつたというのである。

しかしながら、一方前記ラベルの陳述書たる前顕乙第五号証の四(甲第六号証の三)によれば、岡野谷、小池の出勤記録はボイラープラント内の他の労務者に比して良くもなければ悪くもない程度であつて遜色はないとされている。他の労務者に比しで遜色がない以上、出勤状況を基準にした勤務成績の点で整理基準に該当するというを得ないことは言を俟たないところである。かかる陳述書のある以上、具体的にその欠勤率を示さずに単に出勤記録が不良であつたなどと主張するのみの前記各証拠の記載は必ずしも措信できず他に勤務成績が不良なることを示す証拠はない。

もつとも証人秋山一郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証の別表二によれば、昭和二十七年一月から九月に至る間の小池の有給欠勤日数(前顕乙第八号証の一によれば駐留軍労務者は月二回の有給休暇が与えられるほか、病気欠勤も有給の取扱を受けている)は二十六日であり、岡野谷のそれは十日であつて、それぞれポンプ工五十二名中第三位、第六位であることが認められるから、前顕乙第三号証の二、三乙第一号証の三十七(甲第七号証の二)各記載の欠勤率、出勤記録というを有給欠勤日数の多寡と解するならば、小池に関する限り成績不良というを首肯できないこともなく、従つて、ラベルらは有給欠勤日数のみにより勤務成績の良否を判断したのではないかと推論されないでもない。しかしながら、本件人員整理において軍側が整理基準としたところは勤務成績不良なる者であつたことさきに認定のとおりであるところ、勤務成績を評価すべき一資料となる欠勤率は有給の欠勤は日数のみによらず、無給の欠勤日数の多寡と綜合して判断すべきものであるから、有給欠勤日数の多寡のみにより直ちに勤務成績の良否を結論することは失当である。

また、成立に争のない乙第二号証の十六(甲第二号証の一)記載によれば、昭和二十七月一月から九月までの稼働時間数をポンプ工五十名について比較すると、岡野谷は最低、小池は四十一番目であることが認められ、また成立に争のない乙第二号証の十四(甲第二号証の二記載によれば、同年六月から十一月に至る間のそれを比較しても岡野谷は最低、小池は三十七番目であることが認められるのであるが、証人秋山一郎の証言によれば右稼働時間というのは給与支払の対象となる時間のすべてであつて現実に勤務した時間のみならず有給休暇として与えられた時間(病気欠勤を含む)をも含んでの時間数であることが認められた。また成立に争のない乙第二号証の六、第六号証の四の各記載、証人岡野谷猛、同小池京二郎の各証言を綜合すれば、ボイラープラントに勤務するポンプ工は三班に編成され、十二時間交替で勤務し、その間に各班から二名づつ十二時間の公休が与えられるという勤務体制をとつているため、その月の勤務時間割により同じポンプ工のうちに公休を三日与えられる者と四日与えられる者が生じ、その結果勤務すべき時間の数ヵ月間の総計も各ポンプ工について必ずしも一致しないことが認められるから、稼働時間数の多寡は勤務成績を評価すべき資料の一つである欠勤率を直接に表示するとは限らない。従つて労働時間数を以て勤務成績を判断することは正確とはいえない。さらに、証人秋山一郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証の別表一の記載によれば、ボイラープラント所属のポンプ工五十二名の昭和二十七年一月から九月に至る間の勤務日数の比較がなされ、岡野谷が二百二十四日で二十五番目、小池が百八十七日で四十九番目であることが示されているが、右に述べたと同様ポンプ工の勤務すべき日数は必ずしも一致していないから、勤務した日数の多寡も勤務成績の良否とは必ずしも関係がない。以上の次第で岡野谷、小池は軍側の示した整理基準二項目のいずれにも該当しないといわねばならない。

四、岡野谷、小池の組合活動は前述のとおりであるが、成立に争のない乙第三号証の七によれば、支部組合が軍側と交渉をなす場合は組合役員の氏名を軍側に紹介することとなつており、第一次人員整理に関する交渉の席上岡野谷小池の組合役職氏名は軍側労務士宮ハワード少佐に紹介されていること、また同じ人員整理問題に関しボイラープラントの米人作業監督ラベルと交渉した際にはラベルに対しても組合役員の氏名を紹介した事実のあることが認められるから、軍側は両名が支部組合の中心人物であることを認識していたと推認される。

また、成立に争のない乙第三号証の八と証人佐藤正男の証言によれば軍は第二次人員整理の解雇予告をなした後、ボイラープラントにおいて岡野谷、小池を含む被予告者の職場異動を行つているのであるが、支部組合が右異動の撤回、原職場への復帰を要求して軍側と交渉したところ、米人作業監督を補佐するモンテサノは岡野谷小池ら組合役員は復帰させられないが、その他の者については考慮しようと発言した事実を認めることができる。この認定に反する前顕乙第一号証の三十七(甲第七号証の二)記載及び証人河津年盛の証言は措信しない。右は組合活動をなすものに対する差別的意思の徴表である。

岡野谷、小池が整理基準に該当しないことはさきに認定のとおりであり、これに右の諸事実を併せ考えると、軍側が両名を解雇するの挙にでたのは両名の組合活動を理由とするものであると推認するのが相当である。原告はたとえ両名が客観的には整理基準に該当しなかつたとしても第二次人員整理に際しては日本人フオアマンが被整理者の選定に協力することを拒否し、止むを得ず米人軍属が人選に当つたため、且つ指定期日までに急速に人員整理を実施することを要したため、選定に誤りが生じたに過ぎないと主張するが、両名が整理基準に該当することについて合理的根拠の認められない本件においては、差別的取扱の意図をもつて人員整理に藉口して解雇したものと推認されても止むを得ないところである。

五、原告は、その主張第二点において、仮に本件解雇が不当労働行為であるとしても、それは駐留軍が不当労働行為をなしたというに過ぎず、原告においてその責任を負うべきいわれはないと主張する。

しかしながら、成立に争のない乙第一号証の二十(労務基本契約)の条項によれば、駐留軍労務者は駐留軍の労務に服してはいるが、雇傭主は日本国であつて、ただその雇入及び解雇についてはすべて駐留軍の決するところに委ねることを日本国と軍との間で契約しているに過ぎないことが認められる。従つて労務者の解雇に当り、駐留軍側が不当労働行為の意図をもつて解雇した以上、その不当労働行為は雇傭主たる日本国がなしたと同様に取扱われ、日本国はその責任を免れることはできないと言わねばならない。

右主張は失当である。

六、以上判断したように、岡野谷小池両名に対する本件解雇は労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為と認定すべきであるから、被告委員会が同様の認定をなし、前記の如き命令を発したことは相当であつて、右命令を違法であるとして取消を求める原告の本訴請求は失当である。よつて、本訴請求を棄却し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 三好達)

命令書

東京都千代田区丸の内三丁目一番地東京都庁内

再審査 申立人 東京都知事 安井誠一郎

東京都港区芝浜松町三丁目一番地

再審査 被申立人 全駐留軍労働組合東京地区本部

右代表者 執行委員長 安高 啓一郎

東京都練馬区田柄町二丁目六四〇三番地

全駐留軍労働組合東京地区成増支部内

再審査 被申立人 岡野谷 猛

同所

同 田村 英郎

同所

同 小池京二郎

右当事者間の中労委昭和二十九年不再第十六号事件について、当委員会は、昭和二十九年十二月十七日第二一九回公益委員会議に於て、会長、公益委員中山伊知郎、公益委員藤林敬三、同佐々木良一、同小林直人、同中島徹三出席し、会議のうえ、左のとおり命令する。

主文

初審命令中田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する。

その余の再審査申立を棄却する。

理由

当委員会の認定した事実及び法律上の判断は左のとおりである。

(再審査申立人)

一、再審査申立人東京都知事は、調達庁設置法第九条及び第一〇条、昭和二十九年政令第一二四号、地方自治法第一四八条及び同条別表第三の(三の二)の規定に基いて、東京都内における駐留軍の労務に従事する者の雇入、提供、解雇及び労務管理に関する国の事務を国から委任されて執行する者である。

(再審査被申立人)

二、イ、再審査被申立人全駐留軍労働組合東京地区本部(以下地本という。)東京都内における駐留軍の労務に従事する日本人労務者をもつて組織する労働組合である。

ロ、再審査被申立人岡野谷猛、同小池京二郎、同田村英郎は何れも再審査被申立人地本の組合員である。

岡野谷は、昭和二十三年三月より、小池は同五月より、東京都成増所在の在日米軍グランドハイツRU、メイントナンス(以下グランドハイツという。)内の企業に所謂PD労務者として雇用されたが、昭和二十六年四月一日より再審査申立人により雇用され、軍に提供される所謂LR労務者となり、更に同年七月一日より「日本人役務に対する基本契約」に基く、所謂LSO労務者となり、右グランドハイツ内中央ボイラープラントに何れもポンプ工として勤務していた。田村は、昭和二十四年十一月より、LR労務者として再審査申立人により雇用され、昭和二十七年七月一日よりLSO労務者となり、右グランドハイツ内建築班に、木工として勤務していた。グランドハイツにおいては、地本の下部組合として、同所に勤務する労務者約七〇〇名をもつて、成増支部が組織されていたが、岡野谷は昭和二十四年五月乃至七月PD対策部長、七月乃至十月執行委員長、十月乃至十二月執行委員長、十二月乃至翌昭和二十五年四月執行委員、昭和二十五年四月乃至十月執行委員長、十月乃至昭和二十六年執行委員、職場委員長を経て昭和二十六年十月執行委員長となり本件解雇に至つている。

小池は、昭和二十四年四月乃至昭和二十五年十月執行委員、職場委員長、昭和二十五年十月乃至昭和二十六年四月PD対策部長、昭和二十六年四月乃至七月書記長、昭和二十六年十月乃至昭和二十七年十一月執行委員、職場委員長を経て、昭和二十七年十一月副執行委員長となり本件解雇に至つている。

田村は、昭和二十五年十一月乃至昭和二十八年二月文化部長、昭和二十七年十月副執行委員長となり、本件解雇に至つている。

(グランドハイツにおける人員整理)

三、イ、昭和二十七年九月十日、米軍は予算削減を理由としてグランドハイツの労務者九七名の解雇を予告したが、支部はこれに反対し、ストライキ実施の決定、被整理者名簿の拒否、解雇通知書に対するサイン拒否等を行い、結局ストライキは実施されるに至らなかつたが、解雇期日は予定の十月十日より約一月遅れて十一月五日に延長、実施された。

ロ、ついで今年十一月半頃、軍側は再び第二次人員整理として一一二名を解雇する方針を発表したが、支部はこれに反対し、再審査申立人と団体交渉を行つていたところ、十二月一日に至り、軍側労務士官C・L・ハワード少佐(C.L.Howard)は、翌二十八年一月一日をもつて解雇すべき一一二名の労務者の氏名を発表し、解雇を予告した。

支部の反対斗争はなおもつづけられ、十二月二十七日ストライキが実施されたが結局解雇の期日が一月一日から一月七日へと延期された外は予告通り一一二名の解雇が行われるに至つた。一一二名の中には前記岡野谷、田村、小池の三名が含まれていた。

(人員整理の基準及び人選)

四、右第二次人員整理の基準は、必ずしも明確にされていなかつたが、支部と再審査申立人側との間で行われた昭和二十八年十一月二十八日の労働協議会において、再審査申立人の明らかにしたところによると、勤務成績の悪いもの、作業能率の低いもの、新しい入職者の三項目であつて、この基準による被解雇者を決定したのは軍側の各職場監督者である。岡野谷、小池の場合においては中央ボイラープラントの担当監督J・Aラヴエル(J.A.Lavelle)田村の場合はカーペンターシヨツプの担当営繕技師M・Dワース(M.D.Wirth)である。

(岡野谷、小池及び田村の解雇理由)

五、イ、岡野谷、小池の両名の解雇理由については、再審査申立人は初審以来一貫して両名が欠勤多く従つて勤務成績が不良であつたと主張し、欠勤の多かつた事実を立証せんとしたのであるが、再審査申立人が当委員会に提出した証拠の中J・Aラヴエルの署名人陳述書には、両名について「ボイラープラント内の全般の出勤記録と比較すれば、これらの労務者の出勤記録はまずよろしい方である。というのは他の労務者より良くなければ悪くもないからである。」と記載されてあるし、その他の再審査申立人の提出証拠にも、これをくつがえすに足るものは存しないから両名について欠勤が多いから勤務成績が不良であるとの主張は到底認め難い。

また、右陳述書によると、右両名は同一職種で同一作業に従事する他の労務者に比較して能率及び能力が劣るというのであるが、これを措信せしめるに足る事実は初審以来認められたい。かえつて両名は所謂P・O労務者時代から勤続する古参者であり、共に仕事上の事故をおこしたこともなく、岡野谷は副班長に任ぜられ、小池は技術を必要とする修理の仕事まで担当させられた等の事実に徴すると、両名の能率、能力が特に劣つていたという主張は到底容認できない。

更に勤務年限についても右両名は古参者であつて、全く基準に該当しないこと明白であるので、結局右両名は前記整理基準の何れにも該当しないものといわなければならない。

ロ、次に、田村の解雇理由としては能率、能力が劣ること、非協調的であること、勤務年数が浅いことの三点があげられている。更に田村は屋根専門工であるから、一般的大工として働く資格がないというのであるが、同じく屋根専門工計八名の中で特に田村の能力、能率が他と比較して劣るものと認めることはできない。しかし田村及び、右職場において田村と同時に整理該当とされた他の一名は、ともに他の六名の残留者に比して勤務年限が短いことは争なき事実である。約七〇〇名中一一二名という大量解雇の際、勤務年限を解雇の一基準としている本件のような場合には、能率、能力が特に優れていない限り、勤務年限が少しでも他に比して短かければ、たとえ整理基準に該当するものとして解雇されても、けだしやむを得ないとされるべきところであろう。

以上のとおり、結局岡野谷、小池の解雇は正当な理由を認め難いが、田村の解雇は基準に該当するものと考えられる。

よつて前二者についてのみその余の問題を判断する。

(岡野谷及び小池の解雇と不当労働行為)

六、岡野谷及び小池が長年組合活動をつづけ、解雇当日、支部の中心的地位に在つたことは前記のとおりであるが、再審査申立人は、整理基準と被整理者の選定との間に若千の誤差があるとしても、本件人員整理を行つた軍側が、これらの者を基準該当の故に解雇したものに外ならないと主張する。

しかし両名は整理基準に該当しないこと前記の如くであり、更に組合役員として労務連絡士官C・L・ハワード少佐と交渉していることは勿論、その解雇の決定者たるJ・Aラヴエル及びその補佐S・Tモンテサノとは職場の問題について屡々会つており、殊に昭和二十七年九月の第一次人員整理以来、両人は支部の反対斗争を指導し、甚だ目立つた存在だつた。

更に第二次人員整理の解雇予告後、軍は中央ボイラープラントにおいて、予告された者の職場異動を行つているが、その回を求める支部との交渉においてモンテサノが、組合役員でない者は考慮の余地があるからの如き発言をしたとの初審認定をくつがえすに足る根拠も存しないのであるから、軍側が両名の組合活動を強く意識していたと認めるのほかはない。

要するに、本件二名が支部組合活動の中心人物であること、軍がそれを意識していたこと、二名に対する解雇は正当な理由がないこと、支部と軍側とが抗争状態にあつたことをもつて考えれば、二名の解雇を不当労働行為であると認定した初審命令はこの部分については正当といわざるを得ない。

(再審査申立人の抗弁について)

七、イ、当事者適格について

再審査申立人は、駐留軍労務に関する業務を国から委任されているが、その範囲は「駐留軍労務者の雇入、提供、解雇及び労務管理、給与の支給、並びに福利厚生に関する事務」に限られ、「訴訟、訴願、和解、調停および異議の申立」については規定がないから不当労働行為審査手続における当事者適性を有しないと主張する。

しかし右の如き委任がなされている以上、本件の如き不当労働行為審査手続において当事者となることは、当然でかつて、別段これから除外すべき根拠を見出し得ない。

ロ、駐留軍労務者とその労組法上の権利について

再審査申立人は、駐留軍労務者の日本国労働法上の権利が認められるのは行政協定第十二条第五項により日米間の特別の合意のない場合に限られ、労務基本契約第七条は、まさに同条同項にいう特別の合意であるから、本件については不当労働行為を論ずる余地がない。と主張する。しかし同条は別段労組法第七条を排除するものとは認め難い。

八、救済内容の実現不能について

再審査申立人は、米軍は行政協定第三条に基く強力な基地管理権を有し、この権限に基いて再審査被申立人等の基地立人を禁止すれば、再審査申立人としてはその受入を強制する方法がないから命令の内容を実現することはできる筋合のものでないし、又現に米軍は再審査申立人のあらゆる折衝の努力の甲斐なく、再審査申立人等の復職及びこれに対する賃金支払を拒否しているから事実上救済内容は実現できない、と主張する。

しかしながら行政協定第三条に基く米軍の基地管理権が、同第十二条第五項に直ちに優先するものであるとは、判断できず、当委員会としては、行政協定第十六条及び第十二条第五項により、米軍が再審査申立人に対する適法な命令を尊重するであろうと判断する外はない。

(結論)

八、結局本件再審査申立は、田村に対する部分は理由があつて初審命令を取消すべきものであるが、その他については、これを取消変更すべき根拠を発見できないから、労働組合法第七条、第二十五条、第二十七条、中央労働委員会規則第五十五条により主文のとおり命令する。

昭和二十九年十二月十七日

中央労働委員会 会長 中山伊知郎

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